プリンスメロン(ウリ科キュウリ属)
日本のメロンの栽培は明治中ごろに内藤新宿農事試験場、今の新宿御苑で始まりました。戦後、庶民にとってメロンといえばカキ氷のメロンシロップで、きり箱に入って売られているメロンは一生味わえないものと思っていました。
1962年に「プリンスメロン」が発売される以前は、メロンの仲間のマクワウリを食べていました。果物が水菓子と呼ばれていた時代です。冷蔵庫も普及していなかったので、井戸水や水道水で冷やして食べました。年配の人が「マクワウリはおいしかった」と言うのは、他に甘い物がなかったからだと思います。
「プリンスメロン」は、坂田種苗(現サカタのタネ)の創設者でメロンが大好きな坂田武雄が、赤肉メロンの「シャランテ」の種子をフランスから持ち帰り、日本のマクワウリの「ニューメロン」と掛け合わせた物です。雌親がマクワウリ、雄親が赤肉メロンなので、外観はノーネットのマクワウリです。商品名を出さないNHKでも「プリンスメロン」と放送していました。野菜の品種名は農家や市場関係者は知っていますが、一般消費者が初めて覚えた品種名は「プリンスメロン」でしょう。その後、「ハニーバンタム」や「桃太郎トマト」などの品種名を誰でもが口にするようになりました。
プリンスという名前から「皇太子ご成婚にちなんで名付けられた」と書かれた書物がありますが、それは間違いです。一つの品種が世に出るには、農家に試作をお願いし、それを市場関係者に評価してもらいます。横浜市中央卸売市場の金港青果に大手果実商の若手が集まる「プリンス会」があり、そこで大好評となり「プリンスメロン」と名付けられたのです。
人はぜいたくなもので、次はネットのあるメロンが食べたくなり「アンデスメロン」や「タカミメロン」が誕生しました。
藤巻久志(ふじまきひさし)
種苗管理士、土壌医。種苗会社に勤務したキャリアを生かし、土作りに関して幅広くアドバイスを行う。